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概要:スリランカ連続テロ事件の首謀者とされるザフラン・ハシム容疑者。彼をいちばんよく知る実妹が、「兄は日本に1カ月間、滞在したことがある」と証言した。
2019年4月24日、2日前に発生した連続テロの犠牲者を弔う市民たち。
REUTERS/Thomas Peter
死者250人超。世界を震撼させた2015年のパリ同時テロの犠牲者130人をはるかに超える被害を出したスリランカの連続自爆テロは、IS(イスラム国)が実行犯たちの映像とともに犯行声明を出したことで、IS系テロ・グループによる犯行と判明した。
その首謀者は、ザフラン・ハシム(別名モハメド・ザフラン)という33歳のスリランカ人だが、その男が「日本に行ったことがある」という情報が浮上している。
首謀者の実妹がインド紙のインタビューに応じた
この情報については、毎日新聞が「首謀者とみられる宗教家、09年ごろ来日か? スリランカ連続爆破テロ」(4月27日付)というタイトルで報じている。
証言者はハシム容疑者がスリランカで設立した団体「ナショナル・タウヒード・ジャマア」(NTJ)の現代表であるトウフィーク氏。毎日新聞の電話取材に対し「ハシム容疑者は日本に滞在したことがある」と述べたという。
同記事には「地元ジャーナリストなどによると、2009年ごろに日本側のイスラム関係者の招きで来日したとの複数の関係者の証言もあり、日本のモスクで説教をした可能性があるという」との記述もある。
実はこの件について、ハシム容疑者をいちばんよく知る実妹が、「兄は日本に1カ月間、滞在したことがある」と証言した。掲載したのは、インド紙「インディアン・エクスプレス」(4月28日)だ。
容疑者の8歳年下の妹、マダニヤさんは同紙のインタビュー記事でこう語っている。
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「私の知る限り、兄の唯一の海外渡航歴は、10年前の日本訪問だけです」
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ハシム容疑者はそのとき、首都コロンボの知人に誘われて日本に行き、1カ月間を過ごした。日本での仕事は、タミル語を話すイスラム教徒に教義を教えることだったという。
「教義解釈がリベラルすぎる」と教師たちを批判
2009年3月10日、スリランカ南部のアクレッサにて。イスラム教の儀礼期間中にタミル・イーラム解放の虎(LTTE)による爆弾テロが発生。1980年代から2000年代の終わりまで、スリランカでは民族、宗教、さまざまな利害関係が絡み合った内戦が続き、内政不安定だった。
REUTERS via Reuters TV
この日本訪問の時期、彼はすでに過激テロ思想を持ち、日本でそれを広めていた可能性はあるのだろうか。
2009年といえば、ハシム容疑者は23歳。宗教指導者と認められる年齢ではなさそうだ。まずは彼のそれまでの経歴を振り返ってみよう。
ハシム容疑者は、スリランカ東部のカッタンクディという町の貧しい家庭に生まれた。日本でいう小学生の時期には、すでにイスラム教に興味を持っていたようだ。12歳で地元の宗教学校「ジャミアトゥル・ファラフ・アラブ学校」に入学。最初の3年間は、アラビア語でコーランを暗唱することを学んだ。
その後、彼はイスラム法の習得に入ったが、そこで教師たちと衝突する。ハシム容疑者は、その学校で教える教義解釈がリベラルすぎると批判し、より過激な解釈を主張したのだ。
2001年9月11日、米ニューヨークの世界貿易センタービルに、ハイジャックされた航空機2機が連続して突っ込んだ。炎上する同ツインタワーの様子を捉えたテレビニュース。イスラム過激派テロ組織アルカイダの犯行だった。
REUTERS/Sara K. Schwittek
そのころ、つまり2000年代前半は、アルカイダによる9.11テロからイラク戦争と続いた時期で、世界中のイスラム社会で過激思想が台頭した時代でもあった。多感な年齢だったハシム容疑者も、その過激思想の影響を受けたものと思われる。
23歳の容疑者、イスラム教の教師として日本へ
2005年、ハシム容疑者はその過激な言動のために、宗教学校を追放された。19歳のことだ。
翌2006年、彼はやはり地元の「ダルル・アタル」というモスクに幹部クラスとして参加した。弱冠20歳の若輩者ではあったが、そこでは彼はもはや学ぶ側ではなく、人々を導く側にいた。彼の説教はかなり過激な内容だったようだ。
しかし、2009年にはそこからも追放される。ハシム容疑者は当時23歳であり、もっとも若い世代の導師だったが、年長の導師たちとそりが合わず、独自に活動したいと考えたらしい。
ハシム容疑者が首都コロンボの知人に誘われ、イスラム教の説教の仕事のために日本に1カ月滞在したのは、ちょうどそのころだ。
コロンボの知人がどんな人物だったのかは不明だが、日本在留のタミル語を話すイスラム教徒(主にスリランカ人。インド南部タミル・ナドゥ州出身のインド人にも多い)に人脈がある人物だったのだろう。
当時のハシム容疑者はすでにかなり急進派であり、日本でもおそらくそうした説教をしたものと思われる。
日本滞在時に過激テロ思想を広めた可能性は?
2008年7月、北海道洞爺湖サミットを控え警戒態勢をアピールする日本の警察。公安警察も同時期、テロ組織ネットワークの徹底調査を進めていた。
REUTERS/Yuriko Nakao
しかし、日本で当時、イスラム過激思想が在日インド=スリランカ系外国人社会に浸透した痕跡はない。
実は日本の公安警察は、2004年にアルカイダ系在仏テロ組織「ルーベ団」のメンバーだったフランス人元兵士が日本に潜伏していたことが発覚したことを契機に、日本国内のイスラム系外国人社会をかなり詳細に調査している。
さらに、2008年7月の北海道洞爺湖サミットを控え、前年からは個人情報の徹底的なファイリングまで行っていたのである。
ハシム容疑者が日本に滞在した2009年は、公安警察が当時構築した情報源ルートがまだ十分に生きており、仮に在日イスラム系外国人社会に不穏な動きがあったら、それを見逃していた可能性はきわめて低い。
つまり、2009年にスリランカから、のちにテロリストになる急進派のイスラム導師が日本に短期派遣されていたのは間違いないとしても、当時弱冠23歳のその男は、日本で過激思想を伝播させるほどの影響力はもっていなかったとみていいだろう。
もちろん、そうした急進派の導師を日本に派遣するネットワークが存在していたということにはなるが、テロ準備などの不穏な動きはとくになかった。日本にテロ・ネットワークを構築するまでの意思はなかったものと考えられる。
実妹以外の家族は、容疑者とともにテロを遂行
2019年4月22日、スリランカ西部のネゴンボにて。前日の連続テロで爆破された聖セバスチアン・カソリック教会。
REUTERS/Athit Perawongmetha
いずれにせよ、ハシム容疑者はその時期までは、過激な急進派ではあるものの、あからさまに信者たちに暴力を呼びかけるほどではなかった。
彼が大きく変貌するのは、その後からである。日本からスリランカに帰国後、ハシム容疑者は活動を精力的に開始。そのなかで、急速に言動がアルカイダ系の路線へと過激化していったようだ。当時、ハシム容疑者と対立していた宗教指導者のなかには「ハシム容疑者はこの時期、湾岸諸国に行って帰ってきた人たちから過激思想を吹き込まれた」と指摘する声もある。
前出の実妹マダニヤさんは、この時期にハシム容疑者について、こう語っている。
「兄は間違った人々から、イスラム教について間違ったことを学んでしまったのです」
その後、ハシム容疑者はさらに先鋭化し、スリランカ当局に追われて2017年からは地下活動に専念。他家に嫁いでいたマダニヤさんにも居所がわからない状態になった。彼は主にSNSで過激な演説を発信するようになり、その過程でISとのつながりを深めたとみられる。
ただし、この実妹は、ハシム容疑者の家族の中では特殊なほうだ。今回のスリランカでのテロ実行グループには、実父や兄弟たちが何人も加わっていたのである。マダニヤさんを除く他の家族たちは、むしろハシム容疑者に「間違ったこと」を吹き込まれたのだろう。
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黒井文太郎(くろい・ぶんたろう):福島県いわき市出身。横浜市立大学国際関係課程卒。『FRIDAY』編集者、フォトジャーナリスト、『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。取材・執筆テーマは安全保障、国際紛争、情報戦、イスラム・テロ、中東情勢、北朝鮮情勢、ロシア問題、中南米問題など。NY、モスクワ、カイロを拠点に紛争地取材多数。
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